海馬がないけど東大合格yokkoさんの生き方
脳の海馬がないけれど東大合格したyokkoさんという方がいます。
実はその後の検査で海馬があると判明したのですが(20年以上ないと思って生活)、その生き方や考え方が大変参考になりますので、紹介させていただきます。
海馬がないけど東大合格yokkoさん経歴
・現在IT会社経営+家庭教師
・学歴
洛南中高卒業
→東大(理科Ⅰ類)
→東大院(理系修士1年でやめ、その後文系に通い卒業)
→デトロイトという経営コンサル会社に入社
→IT企業社長・家庭教師
海馬がないと分かったきっかけ
洛南高校に入って柔道の授業で頭を強く打った際に、病院に行き精密検査を受けました。
そこで、頭の画像・脳の画像をとったところ、「脳の一部がないです」と言われて海馬がないと自覚したそうです。
海馬は記憶をつかさどる脳の部位。
yokkoさんはそれまで成績もよかったので驚いたそうですが、医者からは「海馬がなくても海馬の周りの部分が海馬の機能を補助しているから、大丈夫だよ。安心してね」と伝えられたそうです。
記憶力が悪いと感じたエピソード
・お風呂に入って頭→体→顔の順番で洗うというルーティーンがあるが、体を洗ったか忘れてしまい、2回洗ってしまうことが2~3日に1回位ある
・ホテルなどに行き住所を書くときに住所がわからなくなることがよくある
・お昼ご飯を食べたか夜になると忘れてしまう
など
yokkoさんの勉強方法 なぜ東大に入れたのか?
yokkoさんの勉強法の特徴を一言でいえば「繰り返すこと」。
これが特に大きな特徴だと思います。
他の人の何倍何十倍も繰り返すことで、
・受験勉強でも高いレベルの中学校に合格。
・レベルの高い洛南中高6年間上位3位に入る。
・英語の勉強も繰り返すことでTOEICで957点をとるレベルに達する。
など、大きな成果を残されています。
それでは、yokkoさんが素晴らしい成果をどのようにして残したのか、具体的に見ていきたいと思います。
幼少期は「勉強しろ」と言われていたのか?
これだけ、素晴らしい学歴を持っている。しかも、記憶力にハンデがあったyokkoさん。
さぞかし、小さいころから親に勉強するように言われたのではないかと思ってしまいますが、
実際にはどうだったのでしょうか?
幼少期は「勉強しろ」とは言われなかった
小さいころから勉強させられたという事はあまりないそうです。
yokkoさんのお父さんは兵庫県の尼崎市という兵庫県の治安の悪いかつ学力レベルの低い場所出身。そこで育ちました。
なので、父親からは「学歴いらんよ。お前もう高卒で働け」と言われ、全然勉強はさせられず。
一方、母親の方は「教育しなきゃいけない」と考え、幼稚園から毎朝1時間勉強を教えてくれていたそうです。
中学受験を決める
小学校低学年くらいの時に「せっかく勉強してるんだから模試でも受けてみるか」と言われて受けてみたら、まあまあいい成績。
そこで中学受験をすることになり、この地域で1番難しい中学ってどこかな?と聞いたら、灘と言ったので、「灘を目指そう」と思ったそうです。
灘中学を目指し、起きてる時間は全部勉強につぎ込みましたが、灘中学には不合格。
洛南中学校に合格し、入学することになりました。
(そのほか、西大和学園合格・東大寺学園不合格)
洛南中高時代 「大学は東大に入ってリベンジする!」と入学前から決意
中学1年生から鬼のような勉強ルーティン
灘に入るためにめちゃくちゃ勉強していたyokkoさん。
灘に入ると思って自分で考えて落ちたのが悔しくて、「大学は東大に入ってリベンジする」と思って洛南中学に入りました。
なので、洛南中学に入った瞬間からめちゃめちゃ勉強したそうです。
勉強は…
朝3時に起きて勉強
学校行く電車の中でも勉強
帰りの電車も勉強
駅から家に行く間も知識を反芻して勉強
帰ってすぐ勉強
風呂の中でも勉強
風呂あがって勉強
そして、寝る
というように鬼のように勉強していたとのこと。
中学に入ってからすぐ(中1から)このルーティン。
洛南に入ってから、志望校はずっと東大だったそうです。
勉強したことを忘れないのか?
記憶力に問題のあるyokkoさん。
勉強したことを忘れないのか?と聞かれ、次のように答えています。
『普通の人よりすごく早く忘れるが、常人の何倍も繰り返している。
洛南中学に入った後、友達は「教科書3周・問題集3周したのに今回いい点とれなかった」と言っていたが、それに対して「ぬるいな」と思った。
僕は絶対10周位するし、苦手な範囲だったら15周とかもする。
だから、俺が3周しかしなかったらボロボロになるぞと思っていた』
yokkoさんの中高時代の成績は学年3位
yokkoさんは中高時代の6年間ずっと学年3位だったそうです。
だけど、勉強が結構しんどかった。
『トップ5くらいの人たちは自分と同じくらいのレベルで勉強してるのか?と思って聞いてみると、洛南はレベルの高い学校でそのトップ5なので、特殊な能力を持っている人ばかり。1回読めば覚えるとか1回見れば覚えるとか 。
それでyokkoさんは「なるほど。こいつらそういう能力持ってるけど、僕はそれとほぼ対極みたいな記憶力だから、こんだけ突き詰めて勉強しないと、こいつらとは互角に戦えないんだ」とその時に分かった。』
とおっしゃっていました。
そして、勉強時間は最大1日17時間勉強することは普通にあったそうです。
睡眠時間は絶対確保したいので、それ以外ずっとやっていたとのこと。
だから、勉強をやりすぎて、高2くらいになったときに、もう東大受かるなという感覚があったそうです。
見聞きした情報を一旦貯めてもすぐに忘れてしまう。
でも、何回も送り込んでいたら、大脳という長期保存する場所に突き進むことができる。
だから、何度も何度も繰り返すことで、覚えることが可能になったんですね。
東京大学入学
洛南に入り、志望校はずっと東大。
模試は東大A判定しかとったことない。
だから、絶対受かるなと思っていたそうです。
東大の文系はさすがに無理だと思い(文系は覚えることが多すぎるから)、理科一類を受験。
結構数学ができて、東大の数学の問題大問6問くらいあり、5完半位して、「これ絶対受かった」と思い、結果合格。
将来の夢は研究者
将来的には研究者になりたかったyokkoさん。
大学を卒業後、大学院に行かれました。
大学院は生物学系。
薬品の実験で例えばA~Cの薬品を混ぜるときに、Aを入れて、Bをとってきて入れると、Bを入れたのかこれから取りに行くのかわからなくなる。それで実験がめちゃめちゃ失敗する。
失敗する頻度が高く、教授にもyokkoの実験は信頼できないといわれて、研究者としての芽はないなと思って、そこで研究者の道をあきらめることになります。
理系の修士は中退することになりました。
研究者の道をあきらめて絶望
研究者の道をあきらめることは、yokkoさんにとってとてもショックな出来事でした。
そして、鬱みたいになり、「もう生きていかなくていいかな」みたいな感じになって、その時の貯金全部握りしめて、死に場所を探すために旅に出ます。
そして、家を出て普通電車に乗り、適当なところで降りる。
暗くなるまで歩いてはホテルに泊まる。
西の方にいってたら、気づいたら東京から和歌山県までたどり着いていたそうです。
お金も無くなってきたから、そろそろかな…と思ってその日泊ってたホテルを出たら熊野古道(世界遺産)というのが見えて、「最後にここ歩いて終わろう」と思っていったら、世界遺産なだけあって、熊野古道がめちゃめちゃきれいだった。
その時に、いままでずっと競争社会で頑張ってきたから、別のこういうのどかな暮らしもあるんじゃないかとそこで思えて、ちょっと元気出て、もう1回やり直そうと思うことができた。
と語られています。
東大の文系大学院へ
理系の修士を中退した後、一旦官僚になろうかなと思い、官僚を輩出している東大の文系の院に行くことに。学部は公共政策学教育部。
しかし、文系の院は暗記が結構ウェイトを占めるので、官僚は向いてないと思って起業しようと考えるようになります。
自分では研究できないかもしれないけれど、自分がやりたいと思っているような研究をしている人に投資するようなポジションに行けたらいい。そういうことをするにはすごいお金が必要だから、起業しようと考え、いきなり起業するのは怖かったので、一旦経営を学ぼうとコンサル会社に入社しようと考えます。
海外留学 TOEIC975点! その勉強方法とは?
yokkoさんは英語が喋れるようになりたいということで、ホームステイされました。
そこで一緒にホームステイしているアラブ人の友達が英語が上手だったので、どうやって勉強したのか聞いたら、「映画がいい」と言われ、そうなんだと思って映画を見ることに。
yokkoさんの映画を見て英語を学んだ方法が次の通りです
- 英語字幕で英語の音で見る。
- 自分の口と俳優の口が全然違うというのに眺めてたら気づいた
- 口の形を真似たら自分も英語上達するかもしれないと思って、毎朝映画を3時間くらいかけて見た。
- 3秒進めては俳優の口を見て、自分も真似て、もう1回戻して、もう1回まねてみたいなことを何回もやった。
- 口も完全にまねるし、音も完全に真似て、意味も全部覚える。
それをやるとすぐに忘れるけれど、よく使う単語はポッて出てくる。
だからそれで、だんだん語彙が増えていって、気づいたら英語がしゃべれるようになっていたそうです。
映画で覚えているので、めっちゃ俳優みたいなしゃべり方になるし、汚い映画見たら、汚い英語を覚えたりしたとのこと。
コンサル会社(デロイト)に入社
yokkoさんは海外に留学するのですが、海外から帰ってきてすぐ就活をはじめ、コンサル会社を受けまくりました。
マッキンゼー・ボスコンなど何個か戦略コンサルを受け、次に皇后コンサルでデロイト・PwC・アクセンチュアを受け、戦略コンサルは全部落ちてしまい、総合コンサルで1番その時上だと言われていたデロイトに入社します。
ちなみに、総合コンサルで受けた所は全部内定をもらったそうです。
就活での記憶力の影響は?
就活ではグループワークでいい案を出すのは得意だったyokkoさん。
自分の案がよく通って発表となると、自分が発表することになる。そして発表したら質問が来て「2点質問がありまして…」と言われると、1点目を答えている間に2点目を忘れてしまい、「えっと、2点目なんでしたっけ?」ときくと笑いが起きて少し恥ずかしいという事はよくあったそうです。
デロイトを退社
デロイトに入って3年くらい働いた。
デロイトでも結構苦労した。
入った下っ端がやらされる仕事は議事録だったそうですが、議事録はちょっと遅れたら、2秒前に聞いたことを書かなければいけない。
でも、2秒前のことが消えてしまって、議事録が結構空白のままミーティング終わってしまったりする。でも、それは時間をかければ乗り越えられるので、何とか乗り越えたそうです。
デロイト辞めた理由は、起業するため。
デロイトに入社して起業について学べるかと思ったが、あまり学べなかった。
2年目くらいの時にそろそろやめないとなと思って、プログラミングの勉強をやり始めます。
コンサルは激務。
朝は遅くて10時に出社し、夜は0時に帰ってくる。
そこから寝て(夜0時位)、4時とか4時半とかに起きて、プログラミングの勉強を3~4時間して行く。
自分が尊敬しているプロゲーマーのウメハラさんが「1年364日ゲームしてる」と言っていたので、「じゃあ俺は1年365日プログラミングする」と心に決めた。
もう絶対に1日も休まずにやり続けていたら、1年くらいたったら結構何でも作れるくらいにはなったので、その時点でデロイトをやめて起業に移った。
家庭教師のアルバイトで気づいたことから「スクマ!」というサービスを作る
学生時代に塾講師のアルバイトをしていたyokkoさん。
教えるのが好きで、結構生徒もいたから、得意だとその時に気づいて、自分の思い入れのある中学受験の家庭教師をしようと思ったそうです。
一生懸命やってたら評判がよくなって依頼がたくさん来て、最盛期は1日11時間とかやっていて、最高月収は150万稼いでいたそうです。
家庭教師をしていた時に見つけた課題が、親御さんが学校見つけることにすごい時間がかかっているということ。
偏差値と通学時間は誰でも気にする。
だけれどもその2つを同時に検索するものがなかった。
まず偏差値で学校をピックアップして、それぞれの学校についてグーグルマップで調べて何分かかるか調べて候補絞るということをやっていた。
それが何時間もかかる作業になっていた。
だからまずここを解決しようと思った。希望の通学時間と偏差値帯入れたらその条件に合致した学校が、パッと出るようなサービス「スクマ!」を作られました。
確かに、利用したいサービスだと思います。
まとめ
yokkoさんを知ったのはYouTubeの動画です。
yokkoさんの生き方を今後の自分の参考にしたいととても思いました。
次の①~④がyokkoさんの生き方のポイントかなと思います。
①目標を決める…灘中学に入る、東京大学に入るという目標を自分で決める
②すぐに目標達成に向かって行動する…中学に入ってすぐ東大を目指して勉強する
③目標達成のため、繰り返しやり続ける…毎日当たり前のルーティン。忘れることは当たり前、他の人の何十倍もやる
④自分の人生を自分で決定する…入りたい学校、大学院を辞める、会社を辞めるといった決断を自分が決定する
yokkoさんのように寝る時間以外勉強することは、私には難しいですが(かなり面倒くさがりの怠け者なので)、
それでも、仕事で覚えたいけどしっかり覚えられないものがあったときには、何度も何度も繰り返して覚える。
繰り返し繰り返し、何度も何度も、身につけたいことに関しては繰り返して覚える努力をする。
という事をしたいと思いました。
他の人より明らかに記憶力に問題がある中、他の人の何倍も何十倍もやることで、その問題を乗り越えることができる。きっと、私にもできるはず。そう思いました。yokkoさんのハンデを乗り越えていく力を本当に見習いたいです。
TOEICで975点も信じられないです。
自分で考え、自分のやり方で、自分の人生を決定してきたからこそ、そして、自分の力を信じていたからこそ、様々な壁を乗り越えてきたのかなと思います。
私も自分らしい人生を生きるために、自分でどのような人生を生きたいかを決め、そこに向かって、その達成に向けて、邁進していきたいと思います。